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<以下再掲>
最近ソラグラティア氏の匿名ブログを読みながら、つらつら考えるのは、これはどうも矢田喬大氏が書いているのではないか、ということである。新宿駅西口喫茶店での面談とか「高柳山谷会談」の際とかに触れた矢田喬大氏の口調が、なんとなくソラグラティア氏に似ている気がする。
そのソラグラティア氏であるが、小生が「聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義を指向する者である」という点が、全然気に入らないらしい。小生を異端者だと断定して、いろいろ論難している。
小生としては、「再建主義大論争」の全記録をお読み下されば、理性的読者なら、同意納得は出来なくとも、一応理解は出来るだろう、ぐらいに楽観的であった。ところが、このソラグラティア氏には、ひとつも理解出来なかったらしい。「再建主義大論争」の全部に目を通したけれども、得た結論は、「山谷は曖昧な議論に逃げている」と言うのである。
これにはカチンときた。
「北朝鮮の密命を受けたクリスチャン新聞編集顧問の根田祥一氏が救世軍少佐たる山谷を洗脳してブログを書かせ、クリスチャントゥデイ潰しを図った」という黒幕陰謀論ぐらいなら、この小生とてまだ我慢が出来ようというものである。
しかし、ログ数1200に達したかの「再建主義大論争」を指して、「山谷は曖昧な議論に逃げている」とソラグラティア氏は言い放った。小生は余程ソラグラティア氏に対して「内容証明郵便」を送りつけてやろうと思ったぐらいである。いずれ裁判になれば、第一回口頭弁論で黒幕陰謀論を指弾しようと思っているけれども、「山谷は曖昧な議論に逃げている」という発言も、きっちり論じさせていただくことにしようか? その際は、ソラグラティア氏が誰であるか特定した上で、「再建主義大論争」の全ログを証拠資料として提出し、「山谷は曖昧な議論に逃げている」という発言の是非につき、御白州裁きをつけてもらおうか?
・・・いやいや、これは、あまりに、大人げない。
そもそも「宗教的批評の自由は、信教の自由の一部を構成する重要な要素である」との催三更氏の持論を全面的に支持する小生としては、かような事柄で御白州裁きを仰ぐわけにはいかない。
それにしても、ログ数1200の議論の中から小生の神学的立場を一瞥せよという課題を、大学をきちんと卒業できるかどうかもわからない若者に要求するのは、さすがに酷と思われるから、以下に出来得る限りかいつまんで、小生の神学的立場を説明することとしよう。
これをお読み頂いて、ソラグラティア氏に同意納得せよとは求めないけれども、一応理解せよとは申し上げたいものだ。それでも「わからん」とおっしゃるのであれば、小生は、あっさり匙を投げる。その場合、悪いのは小生の説明の仕方ではなく、若者たちに「理性」を捨てて「愛」によってのみ生きるようにと繰り返し教え込んでいるダビデ張在亨氏が悪いのである。
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1.聖書根本主義について
小生は、聖書根本主義について、次のように考えます。
聖書根本主義とは、「実在」を規定する「根源」であるところの「主イエスキリスト」が、聖書において有機的かつ十全的に証言されている、と見るような、世界観です。
この場合、「実在」とは、主イエスキリストと、キリストのからだと、キリストが創造し保持し統治したもう世界と、これら三つを指しています。
2.宗教文化多元主義について
小生は、宗教文化多元主義について、次のように考えます。
宗教文化多元主義とは、「歴史」において多様に展開する「諸国家」「諸政府」「諸民族」「諸言語」「諸文化」「諸宗教」が、堕罪した人類に「秩序ある安寧な生活」を保障するために設置された「一般恩恵」に他ならない、と見るような、世界観です。
この場合、「一般恩恵」とは、主イエスキリストが創造した「諸権力」が、キリストの十字架と復活によって打破され、キリストに従属させられ、キリストの王権的世界統治の代理人として使役され、キリストの再臨によって解消されるところの、「人間を救いはしないが、人間に秩序ある安寧な生活を保障する恩恵」を指しています。
さらにまた、この場合の「歴史」とは、人類がバベル崩壊後に「諸権力」による分散管理下に置かれてから、キリスト高挙による「諸権力」の打破を経て、キリスト再臨による「諸権力」の解消にまで至る「救済史」を指しており、かつ、救済史は、キリスト初臨とキリスト再臨に挟まれた「中間の時」において、「終末論」的段階を迎えている、と捉えます。
3.聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義について
小生は、聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義について、次のように考えます。
キリスト初臨とキリスト再臨に挟まれた「中間の時」である「現在」においては、堕罪した人類に対し、福音宣教を通して、「救いの召命」が提供されており、信仰によって応答した者は、救いの恩恵に参与して、キリストのからだに加えられるけれども、応答しない者は、「人間を救いはしないが、人間に秩序ある安寧な生活を保障する恩恵」であるところの「一般恩恵」によって、すなわち「諸国家」「諸政府」「諸民族」「諸言語」「諸文化」「諸宗教」の下にあって、適切に保持され、統治されます。そうして、保持し統治したもうのは、王の王、主の主イエスキリストに他なりません。
4.聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義の神学的典拠について
小生は、聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義について、以下に神学的典拠を求めます。
(1)聖書啓示
(2)ゲルハルト・キッテルの『新約聖書神学事典』
(3)アレクサンドリアのクレメンス
(4)カルヴァンの一般恩恵論
(5)カール・バルトの『義認と法』
(6)オスカー・クルマンの『キリストと時』
(7)ヘンドリクス・ベルコフの『キリストと諸権力』
(8)ファン・ルーラーのセオクラシー論
<以上再掲>
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