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小原先生の次の小論に、目を通しておいてください。
「宗教多元主義モデルに対する批判的考察――「排他主義」と「包括主義」の再考」『基督教研究』第69巻第2号
結論近くで、小原先生は「包括主義」と「排他主義」を対比させつつ、それぞれの有する意義について、述べておられます。
この両者を統合させる手立てのひとつとして、小原先生は、「西洋的な価値が最終的に多様な相関性を統べる、諸価値の〈原器〉として想定されているという意味での『西欧優越的置換主義』」を挙げ(それは、第二ヴァチカン公会議後の諸回勅、とりわけて、『パーチェム・イン・テリス』によく現れていると思われますが)その上で、「西欧優越的置換主義」が持つ「柔和なキリスト教帝国主義」的な本質を、小原先生は批判しておられます。
興味深いのは、「西欧優越的置換主義」が持つ「柔和な傲慢さ」が歴史の展開の中で「露骨な傲慢さ」(たとえば、あのナチズム)に変貌したときに、それを打ち砕く対抗原理として働いたのは、実際のところ、ものわかりのよいリベラリズムだったのではなく、バルトの告白教会の精神において現れた、あの頑固で扱いにくい「排他主義」つまりは、絶対主義、さらには、原理主義、ひいては、根本主義、そうして、ファンダメンタリズムであった、という点に、小原先生は、着目しておられるところです。
果たして、「包括主義」と「排他主義」という正と反が「西欧優越的置換主義」という回答を回避しつつ、止揚され得る道は、あるのでしょうか?
小生が思うに、「聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義」こそ、その可能な答えであろう、と考えます。
なんとなれば、真の聖書根本主義とは、第一世紀における原始教団(ゲマインデ)の世界観にどこまでも固く立脚するものなのであって、それはつまり、<西欧以前の世界観>に立つ、ということになるからです。
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